子供たちの小麦粉・小麦粉コーナー

小中学校新聞(体験学習編等)


 小麦粉で学ぼう 〜西へ東へ「穀物の王さま」〜

 小麦を作り、食べ始めたのは約一万年前、西アジアのチグリス・ユーフラテス川流域の「肥よくな地帯」だ。それから世界に広がった小麦は、日本ではどうだったのだろう。


弥生時代に入ってきた小麦

 主要食糧である小麦の栽培と小麦粉の製法は東西へ伝わり、粉食の文化はヨーロッパではパン、パスタ、ビスケット、ケーキなど、アジアではめん、まんじゅうギョウザの皮などになって広がっていった。ところ変われば品変わる、だね。 ユーラシア大陸の東の端にある日本列島には、紀元前3〜4世紀の弥生時代前期、小麦が伝来したといわれる。古事記(712年)や日本書紀(720年)には、ムギについて書かれている部分がある。
 しかし、小麦粉の食べ方は奈良時代(710〜784年)、入ってきたらしい。文化の先進国だった中国へ仏教を勉強しに行き、帰ってきたお坊さんらによって、ノーハウが持ち込まれたようだ。
 そのころ小麦粉を使った食べ物は「唐菓子」といわれた。奈良時代や次の平安時代の初めころ、貴族やお坊さんが食べていた。中にあんを入れたダンゴのようなもので、汁の中でコロコロしていたという。庶民の口には遠い、ぜいたく品だった。
 次の鎌倉時代には「まんじゅう」などが登場するが、さらに室町時代(1392〜1573年)になると、うどん、そうめん、冷麦、すいとん(うどん粉を水でこね、ダンゴ大にして汁で煮たもの)といった、小麦粉の食品の名が料理の本に登場してくる。食べ方、調理法は、ぐんと広がったらしい。この室町幕府は、じつは戦国時代の武将・織田信長に滅ぼされてしまう。その前後、ポルトガル人が種子島に流れ着いて鉄砲を伝えたり(1543年)、その6年後に今度はイスパニア人の宣教師フランシスコ・ザビエルがキリスト教を広めようと
やってくるなど、ヨーロッパ人が相次いで姿を見せた。
 新らしもの好きの信長はひょっとしたら彼らが持ってきたパンなど小麦粉の製品を食べたかもしれない。もしそうなら、どんな感想を抱いただろうか。知りたいものだ。
 さて、ザビエルから約300年たった江戸時代の末期。いまみんなが食べているような長い「うどん」が庶民の食べ物になっていたころ、外国の黒船が続々とやってくる。幕府をはじめ国中、大騒ぎ。ひょっとしたら戦争になるかもと、幕府は非常食として、軍学者の江川太郎左衛門にパン焼を命じた(1842年)。
 パンは保存性がよく、軽いので携帯に便利、しかも戦場でご飯を炊くと煙が出るが、パンはまとめて焼けるから、毎日焼かなくてもよいと考えたという。乾パンに近いものらしいが、これが最初の日本製パンだった。 こうみてくると、世界の主要食糧である小麦がいかに歴史と深くかかわっているか、よく分かる。

 (毎日中学生新聞 掲載、イラスト:今はしみつ子)

*今までに、掲載したものは「メニューリスト」のバックナンバーの項目に入っていますので、ご覧ください。