子供たちの小麦粉・小麦粉コーナー

小中学校新聞(体験学習編等)

小麦粉食品で健康づくり 小麦粉の日本史

 せんべいの元祖は小麦粉

 
 せんべい屋の前を通ったことのある人なら、きっと鼻で覚えていることでしょう。こんがり焼けた「塩せんべい」から、プ〜ンとこげた甘辛い香りがただよってくるのを。よい香りですよね。この「せんべい」は、米が原料です。でも、じつはせんべいの始まりは小麦粉だったって、知っていますか?

 
 せんべいは、ほかのさまざまな文化と同じく、平安時代に中国から日本へ渡ってきました。そのころ中国は「唐」と呼ばれ、せんべいは「唐菓子」のひとつでした。おめでたいときの食べ物だったようです。10世紀の日本初の漢和辞書である『和名抄』という本には、「小麦のめんを油でいためたもの」と出てきます。ただし、今のような油で揚げない製法の原型は、唐菓子が入ってきたのとほぼ同じころ、やはり中国からきた、亀の甲らの形をした「せんべい」ではないかといわれています。

 さて、これらはいったいだれが日本へ持ちこんだのでしょう。言い伝えによると、空海(弘法大師)というお坊さんだといわれています。
今からほぼ1200年さかのぼった804年、空海は唐へ仏教を学びに行きました。そしてときの皇帝に招かれて料理をごちそうになりました。そのなかに亀の甲らの形をしたせんべいがあり、「おいしい!」と感心し、作り方を教えてもらったらしいのです。日本へ帰った空海は、山城国(今の京都府の南部)の職人に技法を伝え、でき上がったものを「亀の子せんべい」の名で嵯峨天皇へ差し上げたということです。

 その後、さまざまな作り方の工夫とともに、特別な食べ物として各地へ広がっていったのです。このころの主原料は小麦粉でしたが、米を原料にしたせんべいもお目見え。米をひいて粉にし、いったあとで蒸して塩味をつけて平らにし、丸くかたどって両面を焼く、今のような「塩せんべい」です。

 江戸時代の末期には庶民の間で爆発的な人気になり、やがて奥州街道ぞいの常陸国(埼玉県)の「草加せんべい」として名物にもなりました。つまり、その昔輸入された“せんべい”は、小麦粉と米の二つに分かれたのですが、小麦粉こそ本家本元だったのです。

 いまでも京都「八ツ橋」、神戸「瓦せんべい」、福岡「にわかせんべい」、青森「南部せんべい」などの名物は、小麦粉をおもに使っています。どれも香ばしく、郷土に根をおろした忘れられない味になっているのです。

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