子供たちの小麦粉・小麦粉コーナー

小中学校新聞(体験学習編等)

小麦粉と日本史

 鉄砲伝来とカステラ


 みなさん、カステラは好きでしょう!そのふるさとは、どこ?
ウ〜ム、頭をかかえているね。スペインのカスティリャ地方のお菓子といわれています。「カスティリャ」をポルトガル語読みして、「カステラ」という音になったという説です。パンなどとともに約四百五十年も昔に日本へ入り、もっともなじみ深くなった「南蛮菓子」です。


 室町時代の末の一五四三年、種子島にポルトガル人の船がたどり着きました。鉄砲の伝来です。また、キリスト教を広めるため、フランシスコ・ザビエルらヨーロッパ人の宣教師が次々とやってきました。
 足利幕府をほろぼした織田信長が・宣教師のオルガンティノに、京の都に「京都南蛮寺」を建ててもいいと許したのは一五七六年のことでした。
 彼らがたずさえてきたのが、小麦粉を使った南蛮菓子です。パン、ビスケット、カステラ……どれもこれも、当時の日本人が初めて見たり、味わったりするものでした。
 では、カステラはだれが持ってきたのか。ポルトガル人ともオランダ人ともいわれ、はっきりしません。小麦粉と卵、砂糖、水あめを混ぜて焼いたものです。卵黄のきいた味を出すのが「長崎カステラ」です。新しいもの好きといわれた信長も食べたのかな。そのときなんと言ったのか、興味ありますね。
 江戸時代になって、カステラは長崎土産として全国へ広がっていきました。でも、江戸(いまの東京)では人気はいまいちで、卵黄やしっとり感をひかえめにした「釜カステラ」というタイプが生まれました。
 もうひとつ、江戸時代の末になると、小麦粉食品の代表ともいえるパンが注目されるようになりました。まだ鎖国をしていたこのころ、外国の黒船が続々と日本のまわりに姿を見せ、「開国して貿易を」「港を使わせろ」と要求してきました。
 はじめ幕府は断りました。しかし「戦争になるかも……」と大騒ぎ。そのため、一八四二年。軍事のことを研究していた江川太郎左衛門に、非常食としてパンの焼き方をマスターするよう命令したのです。
 パンはご飯にくらべ、保存しやすく、一度にたくさん焼けるので便利だったのです。そのパンは乾パンに近かったようです。これが日本で最初の国産パンでした。小麦粉はつくづく世界とつながっている食べ物だということがわかります。」

*今までに、掲載したものは「メニューリスト」のバックナンバーの項目に入っていますので、ご覧ください。