子供たちの小麦粉・小麦粉コーナー

小中学校新聞(体験学習編等)

小麦粉と日本史

 キリスト教伝来とてんぷら

南蛮料理だった「てんぷら」
 
 魚や野菜などのうまみを残したまま油で揚げておいしく味わう−これがてんぷらの魅力です。代表的な日本料理のひとつとされていますが、「もともとは南蛮料理だった」と言われると、エッと思う人もいることでしょう。今回は、その由来をお話ししましょう。



16世紀に日本ヘ

 戦国時代の16世紀。キリスト教を広めるため、ポルトガルやスペインの宣教師が日本を訪れたことは、前回(5月27日付)の南蛮菓子「カステラ」を紹介したときに書きました。てんぷらも同じころやってきたといわれています。宣教師は、水でといた小麦粉の衣に魚を包み、熱い油で揚げて食べたといいます。そのころの本には「南蛮焼き」と記録されています。揚げることにより、食材のうまみをそのまま保ち、同時に衣の中の水分が油と入れかわり、カラッとした食感になります。砂糖や塩などを加えながら小麦粉でくるむ、あるいはまぶして油で揚げる知恵はグルメですね。しかも、冷めても味は落ちません。
でも、「てんぷら」という名はどこからきたのか、いろいろ説があって、はっきりしません。ひとつは、ポルトガル語で「料理」を意味する「テンペロ」からという説。いや、スペイン語で「寺」を「テンプロ」といい、これが由来という説。発音が似ているので、こんがらがりそうですが、正しいのはどちらかわかりません。
ところで、江戸幕府を開いた徳川家康は大のてんぷら好きだったという説もあります。好物はタイのてんぷらだったようです。


江戸時代に屋台も登場

江戸時代の中ごろには、お金持ちがてんぷらを楽しむようになりました。やがて庶民へと広がっていき、江戸湾で取れた新鮮な魚を屋台で揚げて食べさせるといった、いわばファストフードの原型のようなスタイルの営業が町にお目見えしたといいます。
家庭で本格的に味わうようになるのは、明かりが電灯に代わり、食用油が手に入りやすくなる明治時代になってからのことでした。魚や貝、野菜などなんでも包め、栄養は満点。調味料を含んだ「からあげ粉」やパン粉を水でといて、フリッターのような食感を出したり、粉をとく水の量を少なくしてカリッとあげるなど、いろいろな食味が楽しめます。

 
*今までに、掲載したものは「メニューリスト」のバックナンバーの項目に入っていますので、ご覧ください。