小麦・小麦粉に係る話題

小麦粉のある風景

「パンのむかしばなし」

ひらの あさか

パンの格言
 「汝は額に汗して汝のパンを得ざるべからず。」
ロシア/L・N・トルストイ。この言葉は、旧約聖書・創世記にある『額に汗してパンを得る』からきていますが、ここでのパンは、ただたんにパンをさすものではなく、人のからだをつくる食物全体を示していて、自分が生きるためには、自分で働いて得る食物こそ大切だということを表している。

 「人間はたんにパンのみにて生きる者ではないが、やはりパンによっても生きてもいるのだ。」
フランスのジョセフ・エルネスト・ルナンの言葉。人が生きていくため には信仰も必要だが、やはり生きるためにはパン(食物)もなくては生きてゆけない と言っている。

 イエス・キリストが活動を始めた頃、40日間にも及ぶ断食を行った時、その40日目の夜には悪魔がやってきて、空腹の極みにあったイエスに「お前が神の子なら、かたわらにあるその石を命じて、パンになるように言ったらどうだ」といって悪魔はささやきますが、イエスは『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と新約聖書・マタイ福音書第4章第4節に書いてあるといって、悪魔の誘惑をつっぱねて石をパンに変えることを拒否します。


四旬節と種なしパン
 中世ヨーロッパを中心として厳しい戒律があった。四旬節とは、毎年原則として3 回、40日間の断食期間を意味する。断食とは、文字通りの断食から、段階を踏んで肉や動物性脂肪つまりバターや乳製品、果ては蜂蜜や発酵したパンまでもだめだというもので、この期間にとることが許された食物は、海からの海産物や魚、果物と野菜であり、日本でいえばさしずめ「精進料理」的な日が一年のうちに3分の2に及ぶというものであった。
 旧約聖書「出エジプト記」にイスラエルの民がエジプトを脱出する場面があった。それは夜あけ前のこと、エジプト人にせきたてられたイスラエルの民は、小麦粉と水だけでこねたパン生地を、こね鉢とともに、衣に包んで肩に担いで逃げた。そして、持ち出した生地で種なし、つまり無発酵のパンを焼いた。エジプトを追放されたイスラエルの民は、この日をいつまでも忘れないようにするために正月の14日夕方から、21日の夕方の7日間、酵母を入れないパンを食べるという風習を守り、このおきてをやぶったものは、イスラエルの共同体から断たれる、つまり死罪にするというのだからたいへんなおきてである。


「最後の晩餐」とパン
 あまりにも有名なのがレオナルド・ダ・ヴィンチの壁画「最後の晩餐」ですが、このほかにもヨーロッパ各地でこのモチーフを使った絵が描かれていて、その食卓には、必ずといっていいほどパンが描かれている。いわゆるキリストの血と肉。ご存じ のように血はワインを表し、肉はパンを示す。
 イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてそれを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これはあなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である」(ルカによる福音書)
  実は、キリストは神への捧げものとして表されている。パンとワインの恵みに感謝し、それを神に捧げ、なおかつ食べることによって、さらに恵みを受けるというもので、今日に至るまでミサなどの儀式には、パンとワインを用いている。儀式に使われるパンは無発酵パンで、小麦粉と水だけでこねた生地を焼いてつくる。なぜ無発酵か というと、発酵というのは、つねに腐敗と背中あわせのもので、腐敗は穢れという考え方から、神聖な儀式には用いられないのがその理由だとされています。


クリスマスのプレゼントはパン
 時は四世紀。古代都市ミュラ(現トルコ領)に飢饉が襲った。司教であった聖ニコラウス(サンタクロース)は、この地方の人々にパンを配って、人々を救ったとい う。これがクリスマスプレゼントの起こりとなった。
 中世のヨーロッパでは、その頃、慢性的な食料不足にあえいでいた。飢饉を少しでも救おうと修道院では、飢えた人々にパンやワインを配ったといわれている。また、パンを配るという習慣は、中世から行われていたようで、このほかにも葬式や死者の命日などにもあったという。その風習は、日本にもある死者の清めのため、参列者に食べもの、飲みものをふるまうといったもので、葬式後の会食がはじまりで、居合わせた貧しい人々にも分け合って食べたという。


無発酵パンと平焼き
 古代エジプト以前のパンは無発酵パンで、その流れをくむパンにはインドの「チャパティ」がある。つくり方は、全粒粉に塩、水を加え、1時間ほどねかせたものを丸め、めん棒で薄くのばしたあと、両面を熱した鉄板で焼く。小麦粉と水を加えた生地を焼いたものは「平焼き」と呼ばれ、この仲間にはフランスのクレープ、日本のお好み焼き、中国の餅(びん)の一部がそれに含まれる。また、チャパティとは違い、発酵生地を使った「ナン」は小麦粉にバターミルク、卵、酵母、ベイキングパウダー、 ソーダを混ぜてこね、約1時間ほどねかせてから丸めて、めん棒でのばしてから上下にひっぱり、ちょうど大きなわらじ形にのばして焼いて、仕上げにギーまたは無塩バターを湯せんしたものをかける。本場では、タンドールという円筒形の窯の内側にはりつけて焼き、焼きたてのものをちぎって、カレーにのせたり、つけたりしていただきます。
(食文家)


参考文献
「パンの文化史」舟田詠子・朝日新聞社
「パンとワインを巡り神話が巡る」臼井隆一郎・中公新書
「食の名言辞典」東京書籍
近世ヨーロッパ美食紀行
「旅人たちの食卓」 フィリップ・ジレ/宇田川悟訳・平凡社


*今までに、掲載したものは「メニューリスト」の「バックナンバー」の項目に入っていますので、ご覧ください。