小麦・小麦粉に係る話題

小麦粉のある風景

良い粉屋の娘の話

 本日のメニュー:
Truites la Meunire

         川鱒のバター焼 良い粉屋の娘風

 財団法人製粉振興会
製粉料理教室講師(西洋料理)
折田 浩

 トある時代、トある国のトある田舎の粉屋の娘が川で魚釣をしていた父親から釣れた魚を夕食の御馳走にと急いで家に持って帰る途中、近道にと粉挽場の水車小屋を走って通り抜けようとしてつまずいて転んでしまった。笹の枝に吊るしておいた魚は宙を舞い満杯に小麦粉の入っている桶の中に飛び込んでしまったのである。魚は粉まみれになり無残にも真白な姿に変身してしまったのである。普段は真面目で優しく評判の娘だが、この日は夕食の支度を急いでいたので台所に戻っても粉まみれの魚を洗わずバター焼きにしてしまったのである。娘は手抜きをした料理を食卓に出した訳で家族に非難されるものと思い、おそるおそる食卓に置いたのである。皆の顔色を上目使いで見上げたところそこには何とも幸せそうな顔が並んでいるではないか。父も母も他の家族も今まで味わった事のない香ばしい味付に声も出ないほど感激しているのであった。「ムニエル」という調理法が 誕生した瞬間である。

 日本人は一人あたり年間30s位の小麦粉を消費している様です。しかもその大半がパンや麺類、お菓子として消費されます。私達料理人もメニューにスパゲティー、サンドウィッチ、ケーキ等を書きますし、お客様も同様にそれらの小麦粉から作られるスパゲティーやサンドウィッチ、ケーキ等を注文するのであります。
 今回私は、この欄で主役ではなく脇役の小麦粉の大切さ、そしてそこにこそ料理人の腕の見せ所という所を書いてみたいと思います。
 フリッター(洋風天ぷら)と言う料理が有ります。衣を小麦粉と玉子と水で作ります。ここでは小麦粉が主役です。揚げ油を熱して穴子、アジを揚げるとしましょう。普通は揚げ種に衣をつけて揚げ油の中に放つでしょう。ここで脇役の小麦粉が登場します。器にたっぷりの小麦粉を用意し穴子やアジの身の方にだけ小麦粉をつけてから揚げ衣をつけ揚げ油の中に放します。なぜそうするのかと言うと魚に火が通る過程で身から肉汁が出ます。ところが皮の側からは流れ出にくく、身の側からたくさんの肉汁が油の中に流れ出してしまいます。そこで身の側に小麦粉をつける事によって汁を受け止めてくれ、揚げ油の中に流れ出るのを防いでくれ、おいしいフリッターが出来上がる訳です。決して皮の側に小麦粉をつけないで下さい。

 フライドチキンを作ります。あなたはソフトなフライドチキンとカリカリ感の有るフライドチキンとどちらが好みですか。
 柔らかいフライドチキンを作ります。ボールに調味料、玉子、小麦粉を入れ良く混ぜ合わせ、切り分けた鶏肉を入れ、味が充分染み込んだ所で揚げ油に入れ火を通します。しっとりとした柔らかい揚げ物に仕上がります。
 次にカリカリ感の有るフライドチキンを作ります。ボールに調味料と玉子を入れ良く混ぜ合わせ、切り分けた鶏肉を入れ、味を染み込ませます。器に小麦粉(薄力粉)をたっぷり用意し、味のついた鶏肉を落とし入れ、小麦粉をたっぷりつけ、余分な小麦粉を振り落とし揚げ油の中に入れます。カリカリとした香ばしいフライドチキンが出来上がります。同じ材料で調理しても小麦粉の使い方でまったく雰囲気の違った料理になってしまいます。
 皆さんポークソティーやチキンソティーを作る時、塩こしょうで味をつけ、油を熱くしたフライパンに肉を入れ焼いた時パチパチと水気がはねて台所が油だらけになってしまった経験が有ると思います。この時も器にたっぷり入った小麦粉を登場させます。塩こしょうで味をつけた肉を小麦粉の中に入れ、取り出してやはり余分な粉を手でたたき落とし、フライパンの中に入れ焼きます。油がはねず、小麦色をしたおいしいソティーが出来上がります。
 私は家庭の台所に常にケチケチしないで器にたっぷりの小麦粉を用意しておく事をおすすめします。きっと料理の世界が変わります。

 もう一つ料理を紹介します。クリームシチューを作ります。インスタントのクリームシチューのルーで結構です。箱の裏に書いてあるレシピー通りに作るのです。ただし仕上りの濃度を少しゆるめに作ります。ここで小麦粉を登場させます。小さなボールに大さじ2杯の小麦粉と同じ重さのバターを入れ、スプーンで良く混ぜ合わせ、ポマード状にします。(これをブールマニエと言います。)
 シチューを食卓に出す間際に沸騰させながらブールマニエを少しずつ加え、ちょうど良い濃度に仕上げます。きっとコクの有る一味も二味も上等なクリームシチューが仕上がるはずです。残ったブールマニエは冷蔵庫に入れて置けば大丈夫です。また先程のソティーを焼き上げたフライパンに赤ワインとブイオンを入れ煮詰めブールマニエを削り入れ濃度をつけ、塩こしょうで味をつければりっぱなソースが出来上がります。
 こんな風に料理を作る時決して目立たないけれど脇役として小麦粉が大活躍をするのです。料理テキストに小麦粉適量なんて良く書いてあります。私達プロの調理場には小麦粉がたっぷり入ったバットが必ず用意されています。魚のムニエルを調理する時、小麦粉小さじ一杯だけ用意されては、魚にまんべんなくまぶす事など出来ません。たっぷりの小麦粉の中に落とし、小麦粉に魚の表面の水分を吸収させ、取り出して、余分な小麦粉を両手でたたき落としてから調理にかかると味も良く、見ばえも美しく出来上がります。たしかに不経済との声が有るかと思いますが、家庭でも同じ様に小麦粉を用意出来れば、料理のレベルが一段と上がるのではないかと思っています。ただ使い終った小麦粉は粉ふるいで良くふるい、ダマ等を取り除き、清潔な容器に詰め、冷蔵庫で保存しておかなければなりませんが……。
 私は料理人に成りまして35年になります。小麦粉と毎日必ず顔を合わせています。パスタやデザートを作る時は小麦粉の扱いは分量等非常に気をつかうものですが、先程説明した様な脇役の小麦粉を使う時はどちらかと言うとおろそかな扱いになりがちです。
 おいしい料理を作るには何かコツが有ります。レシピーを見る時、小麦粉という項が出て来たら、無視をしないでその効果の程を良く理解する様にしておりますし、皆さんにもおすすめします。目立たない存在のほんの少々の小麦粉でもきっと「おいらだって小麦粉だい」とさけびかけています。
 粉屋の娘が魚を小麦粉の桶の中に落とさず、水車小屋の床にこぼれた小麦粉の上に落としていたら娘はきっと台所に帰って水で洗ってから調理していたかもしれない。料理はちょっとしたハプニングが起きた時に、思いもしないすばらしい料理が出来る事が良く有ります。それも、失敗したと思った料理から新しい発想が生まれます。
 もしあの時、粉屋の娘が粉挽場の水車小屋で転ばなかったら「ムニエル」というすばらしい料理がこの世に生まれていなかったかもしれない。我々はこの良い粉屋の娘に大いに感謝しなくてはなりません。

 (東京サニーサイドホテル料理長)  
   現在:銀座イタリー亭オーナーシェフ


*今までに、掲載したものは「メニューリスト」の「バックナンバー」の項目に入っていますので、ご覧ください。