小麦・小麦粉に係る話題

小麦粉のある風景

「小麦粉の和菓子」
                       ひらの あさか
「利休饅頭」といえば
 
お茶請けのお菓子としておなじみの「利休饅頭」は、安土桃山時代に活躍した茶人千利休の名をいただいた和菓子です。
 その名の由来は、小麦粉生地に黒砂糖を用いたことで、利休の好みそうな茶褐色の色調になることで「利休饅頭」と呼ばれることに。一説には黒砂糖の名産地琉球(琉球)にちなんで「琉球饅頭」が転じて「利休饅頭」になったとか。
 関東圏でお目にかかる「利休饅頭」は小麦粉生地の皮に黒砂糖を加えたものが多く、中にはつぶ餡、こし餡の入った小ぶりな饅頭で、丸い形や俵形のものがあります。
 ところ変わって、三重県お伊勢さんの銘菓「利休饅頭」は昭和天皇への献上品としても名高い紅白の饅頭で、紅は小豆のこし餡、白はうずら豆のこし餡という丸くて小粒で上品なものです。
 落語「茶の湯」に登場する「利休饅頭」はちょいとワケが違う。
 長年仕事一途に生きてきたあるご隠居が、息子に身代を譲って、閑静な根岸の地に一軒家を借りて趣味の世界に生きようとする。ところが、若い時分から仕事一筋でやってきたご隠居には肝心の趣味がない。手近なところで、小僧の定吉に相談。面白い趣味はないかと思案したが、この二人、風流にはトンと縁がない。そこで以前この家に住んでいた人がやっていた『茶道』に目をつけた。ところが、道具だけは揃っているものの「茶の湯」のやり方がまるでわからない。そんな二人が考え出した「茶の湯」はとんでもないものでした。
 抹茶も知らずに定吉が買ってきたのは青きな粉。かき回してもまったく泡立たない。そこでむく(無患子)の皮を釜に放り込んで泡立てたというおぞましいお茶をこしらえた。
 最初のうちは羊羹を食べながら、定吉相手にお茶をたてていたご隠居でしたが、もの足りずに「客を呼ぼう」ということに。とんでもない「茶の湯」に招待された長屋の連中。あいにくこの人たちも「茶の湯」のお作法、味ともに知らない。初めて飲んだお茶に「こんなものか」と思っていた。この頃には羊羹を出していたので、最初は羊羹を目当てにやってくる客もいたが、ご隠居もしだいに出費もかさむということで、自らつくった菓子を「利休饅頭」と呼び振舞うが、名ばかりの「利休饅頭」もどき。とても食べられるものではなく、欲張って袂に隠し入れたものの、あまりの味に始末に困り、おもてに投げ捨てられる運命に。この投げ捨てられた饅頭もどきが畑で働いていた百姓の顔にあたり、迷惑顔のお百姓さんは「また、茶の湯か」とひとこと言い放つ。とんでもない風流人に振り回され、大迷惑な長屋の連中の悲哀を描いた作品となっております。



「春日饅頭」というお菓子
 ある百貨店でのこと、若手の販売員さんに「この品物にのしを使われますか」と聞かれたので「不祝儀で」といったら「不祝儀」が通じなかったことがありました。そんな時代になってきたのかと思いましたが。
 さて最近はなじみが少なくなりましたが、不祝儀の引き菓子には、大まかに分けて「春日饅頭」「青白饅頭」(関東)、「黄白饅頭」「おぼろ饅頭」(関西)などがあります。
 「青白饅頭」「黄白饅頭」は、小麦粉生地に卵、ふくらし粉を加えて、青は茶の緑、黄にはくちなしを用いた丸い饅頭です。
 「おぼろ饅頭」は、利休の命日にあたる3月27日(旧暦2月28日)利休忌に用いられる饅頭で、小麦粉生地のつなぎに山芋、大和芋などを用いた「薯蕷(じょうよ)饅頭」で、くちなしで淡い黄色につくり、薯蕷の皮をわざとむいて、その名の通り「おぼろ」状に仕上げたものです。餡には黒糖を加えたのがお約束です。この「おぼろ饅頭」も不祝儀の引き菓子として使われます。
 「春日饅頭」は、別名「檜葉(ひば)饅頭」とも呼ばれています。その由縁は、饅頭の表面に刻印された檜葉型の文様「シノブヒバ」。故人を偲ぶという想いも込められています。なんといっても大きい。ずっしりと餡が入っていて重い。小判型をした驚きの饅頭です。
 小学校3年生の時分、おつかいで和菓子をいいつかった私は、リクエストの「桜餅」がなかったので、嵩のはる大ぶりなおまんじゅうを選んで買って帰る。ところが、大きくて喜ばれるだろうと思っていたこの饅頭は、なんと「春日饅頭」だったのです。結局「こんなもん買ってきて」と叱責されたのでした。その頃は、そんなことを知る由もない頃でした。特注のせいもあるかもしれませんが、最近はめっきり店頭では見かけなくなりました。



「和菓子の日」には
 
「和菓子の日」は、今から31年前の1979年6月16日に全国和菓子協会が制定したものです。陰暦のこの日に、菓子を食べて厄払いをした「嘉祥(かじょう)」に由来します。848年(平安時代)、国内に疫病が蔓延(まんえん)したことから、仁明天皇が元号を「嘉祥」と改め、6月16日の16にちなんで、この数の菓子を神に供え、疫病除けと招福、健康を祈ったといいます。
 下って、後嵯峨天皇の時代にもこの行事を行ったのをはじめ、室町時代には年中行事として行われるようになったとされています。
 江戸時代になると、大切な祭りのひとつに数えられ、幕府は江戸城の大広間に菓子を並べ、大名や旗本に与えました。明治時代には「嘉祥」の行事は廃れましたが、昭和の御代となり、同日に「和菓子の日」として復活しました。
(食文家)
参考文献    

和菓子ものがたり
和菓子夢のかたち
落語食譜
落語食物談義
全国和菓子協会ホームページ「和菓子の日」

中山圭子      新人物往来社
中山圭子      東京書籍
矢野誠一      青蛙房
関山和夫      白水社



                       

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