小麦・小麦粉に係る話題

小麦粉・地域の食文化料理

*今までに、掲載したものは「メニューリスト」の「バックナンバー」の項目に入っていますので、ご覧ください。
 ○ 伊勢神宮・おかげ参りと伊勢うどん(三重県)


 初めて伊勢うどんに出会ったときの「感激」は、いまでも鮮明に覚えている。
 もう40年以上も前になるだろう。「伊勢へお参りに行ったら変わったうどんがあるで食べておいで。」と母親に教えられ、友人とバイクに乗って約40km離れた伊勢へ向かうことにした。居所の久居(現在の津市)を出発して少し走ると、旧の東海道(参宮街道)と交差し、すぐに国道23号線に出る。この交差する旧道付近が、現在は松阪市となったが、昔の「三雲村小野江」で、北海道の名付け親として知られる、松浦武四郎の生誕地で、当時その名を知る由もなかったが、今では立派な記念館が建ち、生家も保存されることになった。
 旧道と平行して走る国道23号線を南下、松阪を越えると左手に昔、未婚の皇女が天皇の名代として伊勢神宮に仕えた「斎宮」跡があり、現在は「斎宮歴史博物館」として保存されている。これを過ぎ、宮川大橋を渡り、伊勢に着くとちょうどお昼になった。近鉄伊勢市駅前の外宮に程近い食堂に入り、早速うどんを注文した。
 間もなく、おばさんがうどんを運んできた。普通のどんぶりの中には、太い麺に黒い色のタレがトロリとかけてあり、刻みネギが添えてあった。
 一般のうどんのイメージとのあまりの違いに、暫く眺めていると、店のおばさんが出てきて、「あのな、あんたらな、伊勢ではこれが普通のうどんやに、箸でかき混ぜてから食べるんやに。」と丁寧に教えてくれた。食べてみるとタレが濃い割には甘口で、鰹ダシがよく利いていた。しかし、汁がないのでどうも勝手が違った。出されたお茶を交互に飲みながら、どうにか食べ終えたことを記憶している。
 いまでこそ、広く食べられるようになったが、以前は「宮川から五十鈴川まで」と言われ、伊勢を挟んだ二つの川を渡ってしまうと、店では食べられないというほどに、伊勢独特のうどんだったようである。
 このうどんの由来は、江戸時代以前から、この地の農民が自分達の日常の食事のために、なるべく安上がりで、延ばす手間がいらない太い麺に、自家製の味噌からできた「たまり」を少しかけて食べたのが始まりとされている。
 一般のうどんと大きく異なるのは、先ず、麺が極度に太く全く「コシ」がない。コシの強さが売りものの「讃岐うどん」とは、両極端であり、ザップリあるはずの汁はほんの少しだけ、具は刻みネギだけという素朴さが特徴である。その後、いりこや鰹節などのダシで食べやすくしたものを、およそ360年前に浦田町、橋本屋七代目の小倉小兵が伊勢参り(お蔭参り)の客に供するために、うどん屋を開業したのが「伊勢うどん屋」のはじまりと言われている。
 「伊勢参り」は伊勢神宮を基盤にした参詣の様式で、「伊勢参宮」地元では単に「参宮」と呼ばれている。
 古代の伊勢神宮は、皇室の祖先神ということで、勅許によらなければ一般民衆はもとより、貴族にしても個人的な参拝は許されるものではなかった。律令制の衰退が進むなかで、平安末期ごろから社寺参詣の風潮が広まり、民衆の信仰の対象となっていったようである。その後、「伊勢講」や「神明講」が全国に結成されるなど、広範囲に信者を獲得し、「一生に一度はお伊勢参り」という通念が生み出され、伊勢参りは隆盛を極めた。
 こうした中で、特別の効験があるという60年に一度のありがたい年、つまり、「お陰年」に対する期待と参宮とが結びついて「お陰参り」という集団参拝の現象が生じたようである。記録に残っているものでも、慶安3年(1650)を初めとして、宝永2年(1705)、享保3年(1718)、享保8年(1723)、明和8年(1771)、文政13年(1830)の6回にわたる。享保年間のものは地域的なものにとどまり、宝永、明和、文政の三つは全国的な規模のもので、約60年を周期として流行した。
 この「お陰参り」の語源は、これら参宮者のために街道筋では住民による施行が行われ、着の身着のままでも参加できたので、この名があるとも言われている。中でも文政のときは、4ヶ月間に宮川の渡船場を渡った者が約428万人であったという。当時の日本の総人口が約3,000万人と言われているので、驚異的な数字である。
 余談になるが、松浦武四郎は文政元年(1818)の生まれで、子供の頃住んでいた小野江を南北に参宮街道が走っていて、旅人の往来が激しかった。13歳になる武四郎は街道を行き交うお陰参りの群れを好奇の目で眺め、旅人との接触から大いなる刺激を受けたに相違ない。武四郎が「出奔」するように最初の旅に出たのは、天保4年(1833)、数え年17歳の冬であった。(「炎の旅人 松浦武四郎の生涯」本間完治著)明治2年(1867)政府から蝦夷地御用掛に任じられるまでに、武四郎の蝦夷地渡航は6回に及び、その内の3回目までは自費の旅であった。
 とりわけ、神宮周辺は旅館、餅屋等食べ物屋が軒を連ね、中でも、外宮から内宮へ向かう途中にあった豆腐六(どぶろく)は、「この店のうどんを食べて来た。」というのが旅の土産話になるほど評判のうどん屋であったそうである。
 現在では、道路、交通事情、生活様式も大きく変わり、市内のうどん屋の数も減ったが、地元の人達はそれぞれに贔屓の店があるらしい。また、内宮近くの「おはらい町」に昔の町並みを再現、保存した「おかげ横丁」がつくられ、土産物店、食べ物店が立ち並び、大勢の参拝者で賑わっている。そして、その中の何軒かの店が「伊勢うどん」の看板を掲げ、自慢の味を競っている。また、「伊勢うどん」はそのシンプルさから、生麺と店特有のタレをセットにして、量販店や土産物店で販売され、通信販売でも地方発送をしており、インターネットで「伊勢うどん」を検索すると、各店自慢の商品の紹介や作り方、食べ方、求め方を提供している。
 一方、原料となる県内の小麦栽培では、従来は「農林61号」が主流であったが、地産・地消、地域産業推進の活動の中から、新たな品種が導入され、製パン用として「ニシノカオリ」が、中華麺用として「タマイズミ」が、伊勢うどんには「あやひかり」が向いていることが明らかになり、近年作付面積・生産量が増加し、その需要の拡大に期待が寄せられている。
 このように、本県特有の歴史や食文化、先人達の努力と知恵を親子料理教室など、食育を通して伝えていくことは意義深いものと考えている。

作り方
(1)

沸騰したたっぷりのお湯に生麺を入れ、3分ほど茹でる。このとき、すぐに箸でほぐさないで、自然にほぐれるのを待つ。

(2)

お湯を切り、丼に入れる。(丼をお湯で温めておくとよい。)

(3) 添付されている、伊勢うどんのタレをうすめずにそのままかけて食べる。
ネギや七味などの薬味を加えるのが一般的だが、お好みにより、花かつお、天ぷら、玉子などを入れてもよい。
 

【一口メモ】

一般的に伊勢うどんは、生麺と各店秘伝のタレがセットで販売されており、食べる前にタレと麺を箸でかきまぜる。麺が少なくなった時にタレが沢山残っていると、辛く感じることがある。

(三重県製粉工業協同組合)