小麦・小麦粉に係る話題

小麦粉・地域の食文化料理

*今までに、掲載したものは「メニューリスト」の「バックナンバー」の項目に入っていますので、ご覧ください。
 ○ 古都奈良の「饅頭祭」とまんじゅうのルーツ


この料理の由来・おはなし

 古都奈良の漢国神社境内にある林神社には、饅頭の神様として始祖、林浄因が祀られています。この神社では、毎年4月19日に製菓業の発展を願う大祭「饅頭祭」が開催されています。
 4月19日は、日本に初めてまんじゅうの製法を伝えた僧・林浄因の命日と伝えられるこの日に毎年開かれている。祭り当日は、近畿各府県の菓子組合の方々をはじめ全国の和菓子業者、浄因の子孫「塩瀬総本家」(東京都)、中国領事、県、市の関係者などが参列し、祭典が執り行われます。
 神殿には、全国の和菓子業者から紅白まんじゅうなど百種類ほどの和菓子やお茶が供えられ、宮司による献菓、献茶そして祝詞をささげて製菓業の繁栄を祈祷される。
 境内では、地元県菓子工業組合が饅頭などの即売と上用饅頭の製造実演を行ない、その造りたての饅頭を参拝者に無料で配布されるなど祭りは毎年盛大に催されています。
 奈良は、饅頭の発祥の地と伝えられています。
 「奈良町回顧録の奈良町伝説」の記述よりそのルーツをご紹介することとします。
 饅頭のはじまりは中国と伝えられていますが、中国では饅頭の始祖は、三国時代の諸葛孔明だといわれています。
 孔明が率いる蜀の軍が、中国南方を平定して蜀に帰る途中、濾水という川が氾濫して渡ることができなくなりました。
 地元の人は、人間の首を切って神に捧げなくてはならないと言います。
 部下を殺すに忍びない孔明は、一計を案じて小麦粉をこねたものの中に牛や羊の肉を入れて、人間の頭の形にしたものを川の神に奉ったのです。
 翌日、川の氾濫は、治まったとか、これが饅頭の原型といわれています。
 蛮地における儀式に人の頭の代わりに用いられたところからまんとう蛮頭だったのが、饅頭になったといわれています。

饅頭の祖・林浄因を祀った林神社


宮司が製菓業の繁栄を祈祷される

 この饅頭を日本に伝えたのは、室町時代の貞和5年(1349)中国から来た僧・林浄因でした。
 林浄因は、仏都奈良に居を定め、中国の「マントウ」をヒントに「饅頭」造りを始めますが、僧侶は肉食ができないことから肉の代わりに小豆を煮詰めて甘葛と塩で味を調えた餡を小麦粉で作った皮に包んで蒸し上げた饅頭を考案したのです。柔らかな皮、小豆のほのかな甘さは、評判となり「奈良饅頭」として一気に広まりました。
 その饅頭は、後村上天皇へも、献上され、浄因は官女を賜ったと伝えられています。
 浄因と官女の結婚式の時には、紅白饅頭が各所に配られ、その一組を子孫繁栄を願って丸い石の下に埋めたといわれていますが、林神社の境内には「饅頭塚」として今も残っています。
 林浄因の子孫は後に京都に移りますが、 応仁の乱を避けて、一時愛知県塩瀬村 (現在の愛知県新城市塩瀬)へ移り、その地名を屋号とします。
 現在、東京に塩瀬総本家がありますが、 明治時代より「宮内庁御用達」の和菓子商として社会的な信用を築かれ、創業 650余年の歴史と伝統を誇る老舗の和菓子店として繁栄されています。
 祝事に配られる甘い紅白饅頭には、このようなルーツが秘められていたのです。
 林神社は、今年も4月19日には、「饅頭祭」で多いに賑わうことでしょう。
 林神社は、奈良市の近鉄奈良駅から南西へ (50m)に「縣社漢国神社」と「饅頭の祖神林神社」という二本の石標に挟まれた参道の奥にあります。
 機会があれば一度饅頭の神様へお参りされては、いかがでしょうか。


※写真は[奈良県中小企業団体中央会]提供
(奈良県製粉協同組合)